『第21回常総千姫まつり』は5月14、15日の両日に開催されました。
『会場では選ばれし千姫3人が華やかな時代行列を観客の前で披露しました。また、ステージイベント、グルメ&ショップなどなど盛大な盛り上がりを見せた「千姫まつり」でした。
選ばれし3人の「千姫」はこちら!
徳川家康の孫である「千姫」は、豊臣秀頼(11歳)との幼くしての結婚(7歳)、再縁となる本多忠刻との桑名での出会い(千姫20歳)、姫路城で過ごした幸せな日々など、その半生は非常にドラマチックなものでした。
波乱万丈の人生も70歳でこの世を去りました。小石川の伝通院(東京都文京区)に葬られ墓所が設けられましたが、弘経寺(常総市豊岡町)を菩提寺と定めていたことから、墓所が設けられました。
華やかな時代行列はお見事でした。
本堂の前でご挨拶の千姫
千姫へ献茶(後ろ姿のみで分かりずらいですが・・・)
千姫のお墓へ献花(塀の外の隙間から撮影)
そして千姫ゆかりの姫路市、桑名市からも応援隊が来ていました。
姫路から「お城キャラ」
桑名から「はまぐりキャラ」
そして我らの「千姫」
そして「千姫を大河ドラマに!」で常総市、姫路市、桑名市が協力体制でPRしています。
そして、今回のまつりの会場になりました千姫の菩提寺「弘経寺(ぐぎょうじ)」のご案内
茨城県常総市豊岡町にある浄土宗の寺院。山号は寿亀山。院号は天樹院。本尊は阿弥陀如来。応永21年(1414年)嘆誉良肇上人によって創建されました。
室町時代には関東浄土宗の中心寺院として栄え、多くの学僧を世に送った有力寺院でありました。その後、第十世照誉了学上人の代に寺院再興の時期を迎えます。上人は、徳川三代(家康・秀忠・家光)から帰依、厚遇され特に家康公の孫にあたる千姫は上人に帰依し、弘経寺を菩提所を定め、再建に多大な寄進をしました。そのため、江戸時代には紫衣壇林として十八壇林の中でも上位に置かれる寺院になりました。
惜しくも千姫の御殿を移築した壮麗な大方丈は明治39年(1906年)に灰燼に帰しますが、天樹院殿御廟(千姫の墓所)や遺品、そしてゆかりの品々は、往時の風格を現代に伝えています。
「千姫まつり」のおかげで常総のことをより深く知ることができました。これからもこのブログを通じて常総や石下のイベントなど紹介しますので宜しくお願い致します。